2009年07月27日

東ローマ帝国

しばしば、「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」のいずれが正しい呼び方なのかという議論があるが、当の帝国政府や住民は自国を単に「ローマ帝国(ギリシア語:Βασιλεία των Ρωμαίων, Basileia tōn Rōmaiōn)」と称しており、彼らが「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」といった呼び方をしたことはない。帝国佐賀エステ求人・佐賀エステバイトの一般民衆は、自国を「ローマ人の土地(Ρωμανία, Rōmania)」と呼んでおり、また彼ら自身も「ギリシア人(λληνες, Hellēnes)」ではなく「ローマ人(Ρωμαίοι, Rōmaioi)」を自覚していた。
「ビザンツ」「ビザンティン」は、すでに帝国が滅びて久しい19世紀以降に使われるようになった通称佐賀アロマエステ求人・佐賀アロマエステバイトである。これらの通称はあくまでも古代から1453年まで続いたローマ国家の一時期を指す呼称で、以下に述べるように、いわゆる「古代ローマ帝国」とは文化や領土等の面で違いが顕著であるため便宜上用いられているにすぎない。なお、「ビザンティン」は英語の形容詞 Byzantine に、「ビザンツ」はドイツ語の名詞 Byzanz[1] によるもので、いずれも首都コンスタンティノポリスの旧称ビュザンティオンに由来している。日本語での呼称は、歴史学では「ビザンツ」が、美術・建築などの分野では「ビザンティン」が使われることが多い。
カール大帝の戴冠による「西ローマ帝国」復活以降は、西欧でこの国を指す際には「ギリシアの帝国」「コンスタンティノープルの帝国」と呼び、コンスタンティノポリスの皇帝を「ギリシアの皇帝」と呼んでいた[2]。例えば桂川甫周は、著書『北槎聞略』において蘭書『魯西亜国誌』(Beschrijving von Russland )の記述を引用し、「ロシアは元々王爵の国であったが、ギリシアの帝爵を嗣いではじめて帝号を称した」と述べている。ローマ帝国佐賀ラウンジ求人・佐賀ラウンジバイトの継承者を自称したロシア帝国であるが、ルーシの記録でも東ローマを「グレキ」(ギリシア)と呼んでおり、東ローマ帝国をギリシア人の帝国だと認識していた。
このように東ローマ帝国はその他の欧州諸地域では独自の立場からさまざまに呼ばれてきた。しかし、西欧におけるこれらの議論に関しては、彼らが東ローマ帝国と政治的・宗教的に対立してきた経緯や、議論がなされる中で東ローマ帝国の主張が彼らの価値観によって相対化されてきたことを勘案する必要があろう。彼らにとっては、カール大帝とその後継者たちや神聖ローマ帝国の皇帝こそが「ローマ皇帝」だったのである。
このような考え方に基づく呼称は、日本における呼称として適切・中立的でないとする見解もある。この立場は日本の学界の一部では古くから主張されており、そこでは「中世ローマ帝国」の呼称が提案されてきた。この呼称はなかなか普及しなかったが、近年、学校教育における教科書において採用されようやく一般の読書人にも知られるようになった。
posted by 高収入アルバイト at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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