2009年11月13日

ソウル

概要
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元は京畿道に属したが、1946年に独立し「特別市」となる。韓国にはソウル特別市のほか、6つの広域市が存在し、日本の政令指定都市に相当するといえるが、特別市・広域市とも行政道には所属せず、独立した自治体として運営されている。

朝鮮500年の王都で、四神相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、新羅で「みやこ」を意味する「徐伐(ソボル)」が転訛した固有語である等、諸説いろいろあるがはっきりした語源は分からない。また、漢字表記(漢城・漢陽・京城など)の変遷に関わらず、古来朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われているが、これも必ずしも確証があるわけではない。いずれにせよ、「ソウル」は朝鮮語固有の単語であるため漢字表記は無く、通常はハングルのみで表記する。

ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。これはドーナツ化現象が進んだためと見られ、日本の東京が高度経済成長に伴って急速に拡大し、その後都心部の人口が減少していったことと状況が極めて良く似ている。ただ都市圏そのものは現在も拡大を続けていて、既に韓国全国民のおよそ5分の1がソウル市民、およそ半分が首都圏在住という状態になっており、日本以上の首都一極集中が進んでいる。
歴史上の名称
漢陽・漢城

「漢陽(ハニャン)」は新羅の時代から使われた名称で「陽」が川の北側を意味することがあって、「漢水(漢江)の北側の土地」の意味でつけられた地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。高麗文宗代に南京となり留守が置かれる。忠烈王代の1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。中国大陸、台湾など中国語を使う地区では、「ソウル」に相当する漢字表記がないこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城といい、仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。ただし、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。
京城
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「京城」(日本語読みで「けいじょう」(歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」)は日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)9月30日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった(「府」は日本内地(日本本土)でいうところの「市」に相当)。実際には1945年以降も数年間使われている。独立後の韓国では、反日・克日的な意識の強まりと共に「京城」は日本によって植民地時代に強制的に変えさせられた名称と見なされて、そのため「改正」されるべき呼称として認識された。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。しかし、これらの名称はこれらの企業がソウルが京城と呼ばれた時期に創業されて、企業名に当時の呼び名を当てられたが、その企業名が既に定着して、あえて名称を変えなかったことにもよる。朝鮮日報の場合と同じだと考えられる。また、京釜線、京義線、京仁線、京元線、京春線といった鉄道路線名の「京」も「京城」から取られていると思われがちだが、これらの路線名は日本の統治時代前に付けられたものもあり、「京城」の名称よりも「みやこ」の意味からつけられたと見るのがのが妥当だと思われる。ただし、「京釜高速道路」「京仁高速道路」などは独立後に命名されたものであり、ソウルと仁川の周辺を指す「京仁地域」も独立後に発生した地域呼称である。
ソウルの漢字表記
漢城
各種表記
ハングル:
漢字: 漢城
平仮名:
(日本語読み仮名) かんじょう
片仮名:
(現地語読み仮名) ハンソン
ラテン文字転写: Hanseong
表・話・編・歴
京城
各種表記
ハングル:
漢字: 京城
平仮名:
(日本語読み仮名) けいじょう
片仮名:
(現地語読み仮名) キョンソン
ラテン文字転写: Gyeongseong
表・話・編・歴
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現在、中国語を母国語とする地域ではソウルを表す漢字として「首爾 (Shǒu'ěr) 」(簡体字「首」)が使われている。

かつては「ソウル」に相当する漢字表記は無く、長らく中国語圏では李氏朝鮮時代の名称「漢城(hànchéng)」(簡体字「城」)と表記されていたが、ソウル特別市庁は2005年1月18日から「ソウル」の中国語(漢字)表記を「首爾 (Shǒu'ěr) 」(簡体字「首」)と定めた[1][2][3][4]。 それに伴い台湾と香港の新聞ニュースは「首爾」と改めた。中華人民共和国では2005年中頃から中国青年報などの報道機関や中国南方航空などの航空会社で「城」から「首」へと表記を改め始め、10月には中国政府も「首」表記への変更をした。民間や政府の使用が始まったことで、中国語圏では「首爾」が使われている。なお韓国内では、駅名の漢字併記など漢字表記する場面において、従来は漢字で表記できるもののみ漢字で表記し、ソウルはハングルのまま表記する(例、ソウル駅は「驛」と表記)か、「漢城」を用いていたが(まったく表記しない場合もあった)、新表記を発表後は、韓国鉄道などを中心に簡体字の「首」が使用されている。
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2009年10月14日

ヘプ

ヘプ(Cheb)はチェコの町。ドイツ語ではエーガー、エゲル(Eger)。
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地勢・産業

ドイツ国境に近い。中世よりバイエルンからボヘミア(ベーメン)地方へと移動する中継地点としての役割を果たし、交易などを通じて栄えた。現在は木材、自転車工業などが盛んなほか、多くの観光客も集める。とりわけ、2004年にチェコが欧州連合(EU)に加盟したことは、隣国ドイツからの観光客を増加させることに大きく寄与した。近隣の都市としては、約25キロ南東のマリアーンスケー・ラーズニェ、40キロ北東のカルロヴィ・ヴァリ、40キロ北西のホーフ(ドイツ領)などが挙げられる。
歴史
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エーガー(ヘプ)は11世紀後半より史料に現れる(当時の表記はEgire)。12世紀には、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世のもとで、ヘプ城が建てられている。13世紀に帝国自由都市としての地位を手に入れた。14世紀半ば、カレル1世(神聖ローマ皇帝カール4世)によって貨幣鋳造権が認められた。通商路の中継地に位置していたため商業が盛んだったが、幾度となく戦禍にもさらされた。また、1389年におけるエーガーのラント平和令や、ボヘミア王国とザクセン公国の勢力範囲を確定した1459年のエーガー条約など、この町において諸侯間の重要な取り決めが結ばれた。
ヴァレンシュタインの暗殺

15世紀前半のフス戦争、17世紀前半の三十年戦争で深刻な被害を受けるが、そのつど復興を果たした。また、三十年戦争において皇帝側で戦ったヴァレンシュタインは、皇帝の不信を招いてこの地で暗殺された。

1850年には、チェコ系の住民の民族意識の高揚を受け、エーガーとヘプの双方が町の正式名称として採用された。第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国の解体に伴い、ヘプはチェコスロヴァキアの一部となった。しかし、人口の多数を占めていたドイツ系の住民(当時、チェコ系の住民は1割程度)は、この措置に不満を持った。そのことが、ヘプを含むズデーテン地方におけるドイツ系住民のナチス支持へとつながった。1938年、ナチスはズデーテン地方を併合したため、ヘプはドイツ領となった。

第二次世界大戦後、ヘプはチェコスロヴァキア領に復帰した。戦争の被害は限定的であり、歴史的建造物の多くが破壊を免れたことは、ヘプにとって幸いであった。しかし、チェコスロバキア政府のベネシュ布告により、ヘプのドイツ系住民も市民権と財産を没収され、近隣のドイツ・バイエルン州へ強制追放された(ドイツ人追放)。そのため、街並はドイツ風だが、ドイツ系住民の数が大幅に減少し、終戦時に約4万5千人いた人口も1万5千人程度にまで減少した。その後、外部からの移住を奨励する政策がとられ、現在の人口は約3万3千人(2005年)まで回復している。新たな移住者には、共産主義政権により、労働者として招かれていたベトナム人や、定住を促されたロマの人々が含まれる。

1993年におけるチェコとスロヴァキアの分離にともなって、現在はチェコ共和国に属している。
観光
シュパリーチェク

* ヘプ城跡

12世紀に建てられた城だが、ほとんどその原形をとどめていない。

* ヘプ博物館

ヴァレンシュタインについての展示など。

* ファインアート美術館
* 聖ミクラーシュ教会
* シュパリーチェク
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ゴシック様式の建造物。近世にはユダヤ商人の店となっていた。

* イジー・ポジェブラド王広場
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2009年09月08日

ヴェネチア紀行

・2001年10月6日「野間文芸翻訳賞」贈呈式>会場が17世紀に貴族館だった建物
・ヴェネチアの町全体が世界遺産>600年、700年前に建てられた建物>現在の観光資源
・泊まったホテルソープランドの運河を挟んだ向かい側のサルーテ教会長崎と深い関係が
>サン・マルコ広場も長崎と深い、深い関係が(観光ガイドには1行も出ていない)>
・ときは1585年に溯る>(*『天正遣欧使節』)サン・マルコ広場、サルーテ教会、
ゴンドラにあふれる運河がそのまま残っている
・ヴェネチアは西暦800年、干潟に杭を打ち込んで街が始まる>地中海貿易佐世保ラウンジ求人・佐世保ラウンジバイトの通商国家
として栄えガレー船が200隻も>共和政治、市民国家、文化の花が栄える>16世紀が
最後の輝き>そこに長崎から船出した少年が立ち寄った。
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